他人に嫉妬しないのは、日常に幸せを感じているから

このメディア「SAVOR LIFE」では、SNSに関するエッセイがとくによく読まれます。

SNS=今や多くの人の生活に「当たり前にあるもの」で、そこには現実以上に感情を突き動かしてくる要素が多いため、他人はどう折り合いをつけてSNSを使っているんだろう、と知りたい人が多いからではないかと予想しています。

昨夜、友人とピザとカレーが美味しい高砂「KINGYO」で食事をしていたら、こんな話が出ました。

「誰かに嫉妬することはあるかどうか」

問われた私は「嫉妬はしないかな。比べても仕方ないし、今の自分の暮らしが楽しいから」と答えました。

SNSは嫉妬可能な要素、嫉妬心を呼び起こす要素であふれています。

私も昔、自慢目的で婚約指輪や結婚指輪、自分で買った高価なジュエリーを載せていたことがありました。

振り返ると、自分にはこんな指輪を送ってくれる豊かな夫がいるアピール、自分で高価なジュエリーを購入できるくらいに稼ぎがあるアピールであったことを認めます。

自覚的なマウンティングをしていたのは間違いありません。幼く、浅ましかったと恥じ入ります。

人生が整うマウンティング大全

それらの投稿を見て、嫉妬心を抱いた人も中にはいるかもしれません。

そんなどうしようもない過去もあります。思い起こしてみれば、当時の私は「自分より上の階層に住んでいる、ように見える人」へ羨みの感情を持っていました。

その層には対抗できないけれど、自分の人生における煌びやかな部分を抽出し、幸せを演出していたのでしょう。

昨今、多少は大人になったからか、その手のあからさまなマウンティングをすることはなくなりました。

そして、歳を重ねる過程で、あるときから他者を羨む気持ちは消えていました。「今」に幸せを感じる機会が増えたからです。

と同時に、「自分なりの幸せ」が確立されてきたことも大きいと思います。

・友人と近所の気軽な店でひとり2,000〜3,000円で満足のいく食事をするのが幸せ
・友人宅に惣菜を持ち寄って、友人が作ってくれるごはんを食べるのが幸せ
・ワンルームのコンパクトな部屋は暖房効率が良く、つけて数分で暖かくなるのが幸せ
・冷やした炭酸水でクラフトコーラを割って飲むのが幸せ
・1,500円程度の本でコーチングの基礎を学べるのが幸せ
・パートナーと食後に散歩するのが幸せ
・パートナーが私をブリッジして担ぎ上げて背面をストレッチしてくれるのが幸せ
・歩きながら「寒い、寒い(暑い、暑い)」と連発するパートナーのお尻を軽く叩いて、彼が「ペンした!」とうれしそうに言うのを聞くのが幸せ(※今度「寒い(暑い)」と言ったらお尻叩くよ、と予告した上での行動です)

分かりやすく高価なモノを所有したり、煌びやかな場所に行ったりしなくても、身近にあるモノやコトに十分な幸せを感じています。

大事な人たちが無事で、元気でいてくれて、私と楽しい時間を過ごしてくれることは奇跡的なことでもあります。

自分なりの幸せの定義を見つけ、日々のなかで幸せを感じる瞬間、それに感謝する気持ちを持てると、羨みや嫉妬とは縁のない生活になるような気がします。

Text / Sonoko Ikeda