今日は死にたい〈けど明日はしあわせ〉と呟いてみる

今年初めて知ったこと。3月は年間で月別自殺者の多い「自殺対策強化月間」と定められているそうです(厚生労働省)。

徐々に明るく暖かくなる春先の3月が自殺につながりやすい心理的な効果が働くということを、身近で意識したことはありますか。

コロナ禍、10〜24歳の女児・女性の自殺数が他の世代や男性に比べて増加したという調査結果(横浜市立大学)も、同じ女性として気になるものでした。

昨年3月を振り返ると、自分にとって重たい執筆テーマと向き合っていましたが、若者が簡単に「死にたい」とつぶやく原因と向き合いたい思いは続いています。

その頃は漠としていたのですが、今年は識者のインタビューを通して、再び親身に考えることに取り組んでいます。これには自分の10代の学校生活や家庭環境を振り返る時間もいつも以上に必要になります。

もう一つ「死にたい」という表現の言い換えという、個人的なチャレンジもしています。
今日のコラムは、終始暗い話に徹するつもりはありません。

SNSに日々発せられる「その言葉」は、言い換えると何をメッセージしているのか。

「死にたい」という言葉は、受けとる人の心情も辛いものですが、受けとった人が別の他者に話し言葉や書き言葉で伝えるとき、なんとか気持ちを切り替えられないか。

より包容力のある表現探しの旅をしています。

「死」とその表現について考え始めたきっかけは『死にたいけど、トッポッキは食べたい』という2020年に韓国から上陸した本のタイトル。この冬、しばらく頭から離れませんでした。

著者は私と同じ生まれ年の韓国人女性エッセイスト。
内容は20代の女性が精神科医との対話で生きづらさのループを抜け出すことに取り組むもの。

日本向け紹介文の中にあった「ぼんやりと、もう死んでしまいたいと思いつつ、一方でお腹がすいてトッポッキが食べたいなと思う……」という気持ちは、日頃「死にたい」という思考が頭にもたげてこない私も「そうそう、そうなんだよね」と、読む前から共感できました。

そういう自分も女子校時代、予備校帰りの暗い夜道、一人で「週末の模試は大丈夫だろうか」「受験は大丈夫だろうか」(その先で親は安心してくれるだろうか)といったことで頭の中が占められて、息が詰まりそうになったときもあったはずです。
当時はSNSという吐き出し口がなく、心の中で思うだけで自分の言葉にできなかった。でも、今思えば、私にもふと「死にたい」(と言いたくなる気持ち)のフレーズが頭によぎった瞬間もあったのではと振り返ります。

当時、SNSで「リプライ」などもらうはずもありませんでしたが、周囲の大人の誰かから「死にたいと言ってもいいけど、生きていたら明日はこんなに楽しいよ」といった包容力で何かひと言でももらえたら、少しは心がほぐれたのかもしれない。

後から読んで知った「言葉の魔法」のようなものがあります。

服部みれいさんの本の中に、「お疲れ様です」を「およろこびさまです」のように、いつも口に出す言葉を前向きに変えてみるという提案を見つけたとき「そうか、あのとき、前向きな言葉で自分をチアできていたら」と思いました。

言葉の力を信じすぎている私の提案ですが、先述の「死にたいけど、トッポッキは食べたい」というエッセイのタイトルにも倣い、

「今日は死にたいけど、明日はしあわせ」

などとネガティブとポジティブをセットでつぶやくようにしてみたら、ほんの少しでも気持ちが変わるかもしれない。

今後しんどい、苦しい場面に出くわしたときに備えて、既に自分を実験台に実践を始めています。

「明日はしあわせ」の着想にあったのは、ミュージカルで舞台や映画化されている『アニー』の代表曲「トゥモロー」の日本語版歌詞でした。

「TOMORROW, TOMORROW, I LOVE YA TOMORROW, 明日は幸せ」

もしも私がアニーのような孤児院の少女に生まれたとしても、寂しくて憂鬱な日は歌う。

「朝が来れば、また立ち直れる」と希望を捨てず、歌ったり言葉にしてみることで生きてみようと思うのです。すっかり大人になった自分も再び歌を聴いて、今の役割に使命感のようなものが生まれました。

仕事や家庭生活での負荷のみならず、巷のニュース、テクノストレス、私たちは日々いろいろなストレスに晒され、なかなか個々人が「死にたい」気持ちの裏側まで深堀している余裕がないのが現代社会。

今の私が提案できるのは、言葉によるポジティブへの転換。そして生きづらくならない、他人をそうさせない、自分への余裕作りです。

20代までは隣人に目を向ける余裕はありませんでしたが、30代の今は、たとえ互いに見知らずのSNSの関係でも、リアルな間柄でも、心が弱ったり困っている人がいたとき、そっと何かしらの提案ができるよう、いつも自分に余裕を作っておきたいと思っています。

Text / Anna Koshizuka

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