美味しいお店の見分け方、こんなのもあるよ

「SAVOR LIFE」でも「ちょっといいごはん」をレポートしていて、美味しいものを食べ歩くことが好きなDr.Taroです。

ミシュラン星いくつみたいなお店からB級グルメまで、いろいろ食べてきました。檜のカウンターで食べるお寿司、個室で食べる日本料理、食べに行くのはどちらかといえば和が多いです。最近はラーメンもよく行きます。

今回は遠方でふらっと立ち寄ったラーメン店でのお話です。

頑固と言わないまでもコミュニケーション下手な、強面のラーメン店主がひとりで切り盛りし、店内はほぼ満席ながらも大声で話す人はいません。店内は常連さんたちがいっぱいで、いつもピリついていたんだと今になって思います。

日常の店内がどんなのかは知る由もない我々。そんな店内でお腹ペコペコの自分は店主のラーメン作りを眺めていたところ、店主のダル絡みに遭いました(絡みの内容は割愛)。

本来なら食事をしっかり楽しみたい派。なので、いい気分で食事がとれない状況ではどれだけ美味しいものを食べても楽しむことはできません。それくらい味というのは敏感で繊細なものだと考えています。

誰それと食べたあのごはんが忘れられない、みたいなことをよく言いますよね。それは味もさることながら、いい思い出がいい味に記憶を書き換えてくれているのかもしれません。

親しい間柄の人と食事を共にすることやお店の雰囲気、おもてなし。人間はそれらを総合して味覚を楽しんでいるのだと思います。なので、自分ひとりで店に行ったとき、現地で気分を害するような事態になったら、自分は店を出るようにしています。

しかし、です。連れとお店でそのような不快な場面に遭遇すると、そうそう即退散というわけにもいきません。まさに先日はその状況。連れがいるので気分が悪くても即店を出るわけにもいかず、そのまま食事をしました。我慢の時間ですね。

案の定ですが、まあ美味しくないんですね。きっと気分を害さなくても美味しい食事じゃなかっただろうなぁと思うレベルです。ですが、味がぼやけています。ゆっくり味わえる状況であれば、もう少し美味しかったのかもしれません。

料理人というのはきっと僕ら素人よりも味覚が繊細だと思います。そして、落ち着いた雰囲気やストレスを感じながら食べる味覚にも敏感だと思います。なにより人をもてなしたり楽しんでもらったりする場面で、そうした負の体験を取り除くことを含めて、お客さんの舌を魅了する味なのだと思います。

いかに美味しい食事でも、味というのは出された料理の塩味やうま味の組み合わせだけではなく、その店での体験も味のひとつになり得るのだと思います。今回のような単純に嫌な気分にさせられたことだけでなく、緊張してしまうような格式が高いお店、客をピリつかせる大将などの要素があると、食事を思う存分楽しめないのだなぁとも感じるのです。

しかしながら、自分は若い頃、美味しいものをありがたがって食べに行っていました。これ、日本人の悪い癖かもしれませんね。最近では何度もちょっといいごはんを経験していくにつれて、そういうお店をありがたがることがなくなりました。

味の理解がどんどんと肥えてきたのかもしれません。今まで気に留めなかった店の雰囲気が、料理のクオリティをかき消すような大きな雑音に感じるようになったのです。

お店の雰囲気って美味しいお店の見分け方の大きな一要素になるのでは。口コミのなかで客をどのように扱うか。

ちょっとしたことなら味に影響はしませんが、大ハズレで味を台なしにしてしまう要素も。下調べすることは美味しいお店選びに欠かせないと感じた体験でした。

Text / Dr.Taro

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