とある焼鳥店で「豊かさとは」を考えた話

パートナーと週末に食事に行く店選びをしていたときのこと。

予算はひとり3,000円程度で、なんとなく「焼き鳥がいいね」とお店を探していた。

インスタグラムや食べログで探すことが多い昨今。
おしゃれな内装でいい感じの焼き鳥店を見つけた。

当日、お店に行ってみると、想像よりも店内は狭く、客がぎゅうぎゅう詰めになっていた。それでも店は雰囲気があって悪くない。店員さんがすぐにカウンターまで案内してくれて、ドリンクの注文のやりとり。

店名には「焼鳥」とあるけれど、正確にいうなら、炭焼きの鶏肉を提供してくれる店だった。串は使われていない。焼いた鶏が美しい器に盛られていて、結構いいお値段。

食べてみると美味い。味に満足。そりゃ、味のこのクオリティなら、お店は満席になるだろう。

立地は飲み屋街。その中でちょっと美味しいものを食べる。店内は若いカップルが大半で、皆おしゃれだ。

ただ、自分たちが通うことはないだろうと確信した。

理由のひとつは、店員さんとのやりとりがほぼないこと。もうひとつは、注文して料理が出てくる酒場としては十分なのだけれど、なぜか気分が上がらないこと。こういう客は厄介な客なのかも。

ただ、人間味を味わいたいのかもしれない。かといって店主がしゃべりすぎるのも迷惑で、そんな感性を持っている客なので、やっぱり面倒くさい類の客には変わりがない。

客が話し、店主がそれに適度に応えるようなコールアンドレスポンス。

やりとりの楽しさってある。それは自分にとってはかけがえのないもので、唯一無二な時間の流れ。

たぶんそういう気分だったのだろう。今回行った焼鳥店が悪いわけでもなく、求めているものとのギャップがあったというだけ。

それでも知っておいてほしいのは、おしゃれな内装に美味しそうな料理、立地の良さ、コスパの良さ。それほどスペックが高くても満たされない人間がいるということ。

今挙げたスペックはどれも「この店じゃないと」というポイントはない。誰が働いていてもいいし、誰が食べに行ってもいい。唯一無二性はなくて入れ替え可能。記号としての飲食店。

若いころは気にも留めなかったベクトルでお店を味わっていることに気づく。居心地の良さにもいろいろあるけれど、人との関わりがこんなにも豊かだなんて。

いつからこのセンサーが自分に根付いたのかわからないけれど、皆さんの心にも豊かさをかぎ分ける自分独自のセンサーはありますか?

Text / Dr.Taro

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